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Sew Easy New York

Johnny Pacheco invites Yoko La Japonesa salsera

前売りチケットを買ったときから楽しみにしていたジョニー・パチェコのコンサート。行って来ましたよ!一番のハイライトはNYのサルサ界で今人気沸騰中のサルサ・シンガーYOKOとジョニー・パチェコの共演! すごい良かった~~! YOKOさん、ちょっとヤバイわ~!カッコ良過ぎでしょう。YOKOさんが歌ったあのセリア・クルーズの大ヒットナンバー、Cucala, とLa sopa en botella、ほんとに最高だった! 伸びと張りのあるVOICEが響いていたもの。会場に来ていた周りの人達に“She is my friend!”と叫びまくりたい気持ちでいっぱいでしたね。

そのときの動画です。



ジョニーとYOKOさんの日本語の掛け合いが面白くって会場を沸かせていましたね。スペイン語ペラペラのYOKOさんを前に日本語でJohnnyが一生懸命に話す設定だったのですけどショーの前にYOKOさんからJohnnyが日本語しゃべるのでそのとき盛り上げてくれと言われていたのだけれど。。あんな大きな会場でとってもキャーキャーなんか言えないよぉ。と思っていたけど、そんな心配なんてしなくてもドカンと笑い取れていたので大成功でしたね。

ジョニー・パチェコとはこの人がNYのサルサを作り上げたといっても間違いない大御所サルサ・ミュージシャンで伝説のFania all starsを作り上げた人ですべてのサルサのルーツはこの人と繋がっている。 私もサルサを始めた頃からずっと聴いていてこの日演奏されたすべてのナンバーも大好きでどの曲もサルサ・ダンサーの私の心を思いっきり熱くしてくれます。

このコンサートは彼の74歳の誕生日を祝っての記念コンサート。白髪でピシッとスーツを着こなしてシュッとしているその様はまだまだエネルギッシュである。
やっぱりサルサが大好き!と私に再確認させてくれたいいステージでした。 
Johnny Pacheco invites Yoko La Japonesa salsera_b0130809_1275212.jpg

Let’s Keep Salsa alive!!!!

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ここでよく解るサルサ音楽のルーツとジョニー・パチェコについてお友達のMofongoさんの記事を引用させていただきます。これはYokoさんのプレス資料用として書かれたものであるそうです。これであなたも今日からサルサ・マニアですよ~♪

「Johnny Pacheco by Mofongo」
アフリカのリズムとスペインの歌がプエルトリコやキューバで出会ってカリブの音になり、ジャズやR&Bの香りと溶け合った音楽がサルサ。

1950年代のニューヨークには、ジャズやマンボと言ったダンス・ミュージックと共に、プエルトリカンを中心とするスペイン語を母国語とするラテンの一大コミュニティーがあった。そしてその中から、若くてかっこいいヒスパニック自身のための音が生まれてきた。それがいつしか「サルサ」と名づけられたのだった。

ニューヨークで、そのサルサ誕生の最も中心にいたのが、ジョニー・パチェーコ。

1935年にカリブ海のドミニカ共和国で生まれ、ニューヨークのラテン音楽シーンの中で育った彼は、50年代後半には人気アーティストとなり、 64年に「ファニア・レコード」というレーベルを立ち上げる。そして68年、ファニアの音楽家を集め、自らをリーダーとして「ファニア・オール・スターズ」というスター・バンドを結成。世界ツアーの中では来日公演も行なっている。

このバンドと各メンバーの作品はまずニューヨークやプエルトリコの、次いで中南米各国の、そして世界の大きな支持を受け、「サルサ」という音楽を、ラテン音楽の代名詞とするようなブームに押し上げた。その中でファニア・レコードはジャズの「ブルーノート」、ソウルの「モータウン」と言ったレーベルに匹敵するものに大きく成長したのだった。

パチェーコは自らの作品を次々にヒットさせると同時に、作曲、編曲、そしてファニア・レコードで多くのアーティストをプロデュースしヒットさせるという縦横無尽の活躍を続けて来た。グラミー賞の9度のノミネーション、数多くのゴールド・ディスク、様々な音楽賞の受賞などなど、「ニューヨーク・サルサのドン」とも言える超大物アーティストなのだ。

今年74才だが、未だにバンドを率いてコンサートをこなすと同時に若いミュージシャンをサポートする基金の運営にも精力的に活動している。そんな彼は、若いアーティストをサポートする時も手を抜かない。厳しく、しかし暖かく対応すると共に、これと見込んだ新しい才能へは全面的なレスペクトを表す。

今回、3月20日のマンハッタンのタウンホールでのコンサートに日本人のYOKO が共演アーティストとして招待されたと、聞いて驚くと共になるほど、と思った。彼女は単身ニューヨークに渡り、スペイン語の飛び交う現場でたたき上げて、昨年自分のバンドを率いてデビューしたという、サルサの世界では過去に例のない日本人の歌手。しかし、「日本人だから」という希少価値で今回招待されたのではなく、ニューヨークの地元での活動がパチェーコの知るところとなり、実際のステージでの実力を買われて招待されたからだ。パチェーコのような大物は特に共演など必要ない。つまり、彼自身がほれ込んでの招待、という訳なのだ。

ニューヨークという街は、世界からの才能が集まり切磋琢磨する。そのニューヨークのサルサという音楽の世界で、最も影響力のあるジョニー・パチェーコとの共演、これは彼女がこれから羽ばたいて行く大切な瞬間となるだろう。
by toshikomambo | 2009-03-25 01:35 | サルサ!